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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)2864号 判決

控訴人

甲野太郎

右訴訟代理人

磯部靖

水戸守巖

被控訴人

甲野花子

右訴訟代理人

真野毅

鈴木富七郎

山田勝利

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  求める判決

(一)  控訴人

1  原判決を取消す。

2  控訴人と被控訴人とを離婚する。

3  控訴人、被控訴人間の子甲野光子(昭和四八年一月二九日生)の親権者を控訴人と指定する。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(二)  被控訴人

主文第一項と同旨。

二  主張

(一)  控訴人

「請求原因」

1  控訴人と被控訴人とは昭和四七年一一月二日、婚姻届をなした夫婦であり、その間に昭和四八年一月二九日、長女光子が生れた。

2  これより先の昭和四七年二月二五日控訴人と被控訴人は、結婚式を挙げ、控訴人肩書住所でその両親と同居して夫婦生活を始めたが、被控訴人はその性格が激しく、控訴人の両親と協調できないため、同年六月上旬控訴人と別れてその実家たる肩書住所に帰り、以来別居状態が続いており、両者の関係は婚姻を継続し難い重大な事由があるときに該当する。

3  よつて控訴人は民法七七〇条一項五号に基いて被控訴人との離婚を請求し、かつ長女光子の親権者を控訴人と指定することを求める。

(二)  被控訴人

「請求原因の認否」

その1は認める。その2のうち挙式、同、別居の点は認めるが、その余は否認する。

三  証拠〈省略〉

理由

一〈証拠〉によると請求原因1が認められる。

二以下、請求原因2について検討する。

〈証拠〉を総合すると、

1  控訴人(昭和一二年二月一一日生)は昭和三八年三月、横浜国立大学を卒業後、訴外△△会社に入社し、引続き同社に勤務していたが、昭和四六年一〇月九日訴外B子ら主催の△△大学同窓会家族パーテイの席上、被控訴人(昭和二二年四月二九日生)と知合い、被控訴人側の希望で交際するようになり、同年一二月三日には婚約し、同年暮から翌昭和四七年二月上旬頃までの間たがいに相手方の家庭でこもごもね泊りするような親密な交際を続けたのち、同年二月二五日、結婚式を挙げたこと、

2  その後両名は控訴人肩書住所地(△△町)で控訴人の両親とともに暮す生活を始め、当初は平穏で、被控訴人も(勤勉であるとまではいかなくても)炊事、掃除、洗濯などの家事のひととおりを行つていたが、朝の起床時間が遅いようなこともあり、かねて自身病弱であつたため、独り子である控訴人の妻帯に大きな期待を抱いていた控訴人の母にとつて、被控訴人の行う左程献身的ではない家事やその生活態度は次第にその不満材料となるようになり、また親思いで、母同様、家事に献身的な妻を望んでいた控訴人も母に同調し、被控訴人の生活態度に不満、幻滅感をもち、かつ被控訴人が早々に妊娠したためか、健康が勝れなかつたことにも不安を抱くようになり、他方被控訴人も控訴人の母を金銭欲が強すぎるなどと批判するなどのことがあつて、控訴人と被控訴人間に口論がなされ、控訴人の母と被控訴人の仲も融和を欠くようになつたこと、

3  そのため結婚式後三か月経つた頃には、早くも控訴人とその両親は被控訴人をその実家にかえして了おうと思い、昭和四七年六月三日、健康が勝れないという被控訴人に対し病院で診察を受けるように、と言つてその実家にかえし、同月五日、被控訴人から妊娠二か月と診断された旨報告を受けると、悪阻がなおるまでは実家にいるようにと言い、またその後、中元の挨拶を兼ね入籍の相談に控訴人方を訪問した被控訴人の両親に対し控訴人およびその両親は、被控訴人は身体が弱く、働きが足りないなどの不満を述べ、控訴人の家庭には向かないなどといい、入籍の話などを持出す雰囲気ではなかつたなどで、被控訴人は控訴人方にかえることができず、やむなく引続きその実家にとどまるようになつたこと、

4  しかしその後も控訴人と被控訴人は昭和四七年一二月頃までの間、東京都内などでしばしば会い、共にホテルに宿泊することも相当回数あり、被控訴人の、婚姻届をして欲しい、との求めに対し、同年一〇月三〇日、控訴人は被控訴人に、自分やその両親の面子、立場を傷つけない。独断的な行為はしない。夫(控訴人)の指導に従う、などの内容の誓約書(甲第三号証)を書くことを求め、被控訴人がこれに応じたので、同年一一月二日、両名の婚姻届がなされるに至つたこと、

5  昭和四八年一月二九日、被控訴人は長女を出産し、控訴人の意向により光子と命名した。同年二月末、控訴人は被控訴人に連絡なしに海外に出張しようとし、それを知つた被控訴人が控訴人の出発直前、電話でそのことを非難したところ、出発準備で多忙の控訴人も立腹し、帰国した暁には離婚手続をとろうと決心して、その旨被控訴人に申向け同年五月一八日、帰国しても、被控訴人には知らせず、弁護士に離婚手続の件を委任した。他方帰国を知つた被控訴人はその父とともに同年六月四日、勤務中の控訴人を訪ねたが、控訴人は応待をさけ、翌五日付で控訴人側弁護士から、爾後は控訴人との直接交渉を行わないことを求める書簡が被控訴人に発せられ、同月末には家庭裁判所に対し控訴人から夫婦関係調整のための調停申立がなされるに至つたこと、

6  右調停は不調になり、その後も控訴人は被控訴人が△△町の控訴人方にかえることを認めず、両名の別居状態が続き、長女光子は被控訴人が養育しているが、控訴人は別居以来、おおむね一か月数万円づつの送金をなし、昭和五三年二月一五日、婚姻費用分担審判に対する抗告事件で和解成立後は、毎月七万円づつの送金をなしていること、

7  前記のように独り子で病身の母をもつ控訴人は親思いであるが気が弱く、消極的な性格で、親の意思、意見に拘泥または影響され易い傾向を有するのに対し、被控訴人は負けず嫌いな積極的な性格で、他人との協調性に多少欠ける面があり、現在、控訴人は被控訴人との離婚を希望しているが、被控訴人は離婚意思を全くもたず、依然として控訴人に対する愛情を披瀝していること、

がそれぞれ認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

そして右認定の、結婚式を挙げて間もなく控訴人およびその母と被控訴人の間に不和が生じ、昭和四七年六月上旬以降現在まで別居状態が続いており、控訴人が離婚を希望していることからすると控訴人と被控訴人の婚姻が破綻に瀕していることは否定し難い。

しかし前記認定のように昭和四七年六月上旬の別居以来、控訴人と被控訴人の交渉は全く絶たれたわけではなく、両名はしばしば会い、また相当回数共に外泊までしていることおよび前記控訴人の性格からすると、控訴人と被控訴人の別居開始および別居の継続が必ずしも控訴人の意思だけに基づくものではなく、その親の意思、意見が相当の影響力をもつたであろうことが容易に推測されること、結婚式後、別居までの期間はわずか三か月であり、それは結婚式において終生の共同生活を誓つた筈の夫婦が真に相互を理解するための期間としては余りにも短いこと、別居後である昭和四七年一一月二日、婚姻届がなされたのであるから、その際それまでのいざこざによる不満などは相互に宥恕し、白紙に戻つて新たに再出発が約されたとみうること、右婚姻届がなされ、両名間の婚姻が有効に成立したのちは、同居など、夫婦としての実質的生活は全くなされておらず、従つて右婚姻成立後、控訴人が最初に離婚を決心したという昭和四八年二月末における電話によるやりとりも共同生活上の事由によるものではなく、いわば衝動的、感情的なものと見られること、別居開始に当つて控訴人側から別居について被控訴人との明確な話合いないし説得はなされておらず、医師による健康診断と静養の必要を口実に一方的に被控訴人はその実家にかえされ、そのままずるずると、長期間の別居、という既成状態がつくられたこと、被控訴人には前記のような欠点はあるにしろ、控訴人に対する愛情を失つていないから婚姻生活確立のため相当の努力が期待可能であること、婚姻の解消は愛情中心のいわゆる自由、個人主義的な考えだけで決せられるべきものではなく、婚姻が安易に解消されることによる未成年の子の不利益などの社会的弊害も考慮せざるをえないことからすると両名の婚姻をすでに回復困難な程度に破壊されたものとみることはできず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。

従つて控訴人の本訴請求は失当であり(なおかりに両名の婚姻生活の破綻が回復困難な程度に進んでいると認められるとしてもその最大の原因は長期間の別居にあると思われ、この別居状態がもつぱら控訴人側の一方的意思により形成されたこと前記のとおりである以上、夫婦の同居義務に違反した控訴人は婚姻破綻の主な原因を形成した有責配偶者といわざるをえないから、この点からしても控訴人の本訴請求は許されない)、これを棄却した原判決は正当である。

よつて本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条本文、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(吉岡進 手代木進 上杉晴一郎)

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